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けんたろう日記
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私はなぜ自民党で、そして中原八一なのか②

2016年07月03日

〇そして、なぜ中原八一なのか

2015年1月某日、新潟県庁近くのファミリーレストランで私は参議院議員中原八一自由民主党新潟支部長と初めて対面した。

態度だけは大物の私。何とこの時、中原八一支部長を先に入店させ、待たせていた。

当時私は3ヵ月後に迫る統一地方選挙を前に、無所属で出馬するつもりであった。まさか無名で当選確率ゼロの私を日本の政党が推薦してくれようとは思ってもいなかったからだ。

私は中原八一参議院議員に遠慮もなしに自説をぶちまけた。まさか当選前に自民党と縁があるとは思ってもいなかった私。今思えば、初対面の国会議員に対して、よくもあれだけ言いたいことを言えたものだと感心する。

その暴言に近い私の自説を、中原八一支部長は一言も漏らさず聞いてくださった。さらに、その場で自民党への仲間入りを提案してくださった。結果として、この面談がなければ、私は今、議員としてこの世にいることはなかったと確信している。

2016年統一地方選。中原八一支部長は幾度となく、無名で公認候補でもない私の応援演説をしてくださった。そればかりか、ほぼ毎晩、厳しい指導の電話を掛けてくださった。選挙の「せ」の字も分からない素人集団の伊藤けんたろう陣営、私から自民党支部への要望は「厳しい指導をいただくこと」だった。それを支部長自ら実行してくださったのだ。

私にとって、この参院選で中原八一を応援することは、単なる恩返し以上の意味がある。私にたくさんの期待を票に乗せて託してくださった有権者の皆さんの分も、私は中原八一当選のために走らなければならない。

〇民主党政権の最大の失敗、上からの「政治主導」

私は市役所だが、国家公務員の気持ちは同じ公務員として理解できる。私は民主党政権最大の失策は、上から目線の「政治主導」、「官僚蔑視」だと確信している。

一年生議員の分際で生意気を言うようだが、政策形成能力で政治家が省庁に勤める国家公務員や地方自治体に勤める地方公務員を上回ることはないだろう。当然である。省庁や地方自治体で働く公務員は、日々担当の仕事を専門的にこなし、担当業務に関するすべての情報を収集して予算折衝に臨む。財政状況の厳しい折、並大抵の大義名分がなければ担当業務の予算を分捕ることはできない。相当のバランス感覚と政策形成能力、段取り力がなければ公務員、特に管理職は務まらない。一生懸命働いても、怠けたとしても同じ給料であるにもかかわらず、一生懸命働く公務員を舐められては困る。

民主党政権下では、弁護士や企業経営者、大学教授出身の閣僚たちが「霞ヶ関に任せておいては日本はダメになる。政治主導が日本を良くする。政治家が予算を編成し、政策をつくる」と訴えていたが、失笑に値する。鉄筋コンクリートの巨大ビルしか建てたことがない建築士が戸建ての木造家屋を建てるのに、職人たちを上から蔑視するのと同じだ。政治家は理念と国民の意見を官僚を動かして政策に落とし込ませるのが仕事。議員内閣制の日本ではなおさらだ。

私の主観だが、当時民主党であった国会議員は、相当このことを痛感したのではないか。今では手のひらを返したように「政治主導」と口にしなくなった。「政治主導」は当たり前。問題は公務員に対するリーダーシップをどのように発揮するのか、霞ヶ関をどうマネジメントするのかにかかっていると私は考える。

〇政務官を経験した与党の国会議員を再選させる地方議員の責任

市役所にいても、中央省庁の「政務三役」が別格の権限を持っているのは実感する。特にAPEC食糧安全保障担当大臣会合の開催支援を担当した私にとっては、大臣、副大臣、政務官が新潟入りするときには相当の気を使い、入念な段取りをする。

ご存知のとおり、中原八一支部長は国土交通大臣政務官を歴任している。与党議員としての立場、省庁の上官としての立場を経験した国会議員は貴重な新潟のリーダーだ。

地方議員には、市民からの要望、自らの理念を体現するために、幾つかの方策がある。ひとつは地方議会での発言、ひとつは地方議会としての国への意見要望、もうひとつが国会議員への要望だ。その中でも、最も効果が高いのは、実は国会議員への要望なのではないかと感じている。地方議会での発言権行使は「言いっぱなし」になることが多いし、地方議会としての国への要望は同種の意見要望が他の地方議会から発せられないと取り上げられないことが多いからだ。

皆さんに知っておいていただきたいことは、いくら政府がダイナミックな国策を展開して、大型の予算編成を行っても、必ず新潟に恩恵が行き渡るとは限らないということだ。理由は、その国策が新潟にマッチしないというケースもあるし、首長が力を入れている施策と一致せず、国策を受け入れないケースも確実にある。

すなわち、私たちのような、予算編成権も持たない地方議員にとっては、新潟の実情を地元選出の国会議員に聞いてもらい、国策自体を新潟スタイルにしてもらう必要があるわけだ。

近い将来、新潟選出の国会議員がキャリアを積んで、全員が異なる省庁の政務三役を務めるとしたら、新潟の地方議員は格段に仕事がしやすくなる。すなわち、市民にダイナミックな国策が届きやすくなるということだ。新潟は飛躍的に成長する。

私が中原八一を応援しているのは、恩返しだけではない。政務三役を務めた、また、近く務めることになる同志の国会議員を応援することは、自らの政治活動に直結するのだ。

〇パフォーマンスではなく、確かな仕事をする国会議員も必要だ

政治家も人間、パフォーマンスがうまく、市民の意見を引き出すのが上手、説明するのが上手、説得するのが上手な議員もいれば、逆に、自治体や省庁の職員と時には手を組み、時には喧々諤々と議論して、確かな施策を創造するのが上手な議員もいるはずだ。少なくても新潟市議会ではそうだ。中原八一支部長はおそらく後者だと思う。私は、市民の意見を聴き、将来を見据えた確固たる政策を行うためには、私を含め、現在生きている市民に「ウケる」パフォーマンス上手な政治家だけでは日本の未来はないと思う。(自民党の国会議員にそういう議員はいないと断言する。)ましてや、対案なしの批判、反対ばかりの政治家では、新潟は良くならないと思う。いかがであろうか。

〇だから私は中原八一なのだ

①でも述べたとおり、今回の参院選挙は政権交代をかけた選挙ではない。(自民党ではなく、民進党がそう公言している。)

したがって、中原八一候補以外の候補が当選した場合、市民の意見は、その候補者には届くが、残念ながら政府与党には届きづらい。ましてや参議院は「良識の府」である。品格を損なう訴えを続ける候補者にだけは新潟を代表してほしくない。

新潟には中原八一が必要である。

 

私はなぜ自民党で、そして中原八一なのか①

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